【対談・向坂くじら(詩人)×細川葉子(写真家)】 アイムホームができるまで
詩集『アイムホーム』(向坂くじら・著)には、47の詩の合間に、家のあちこちにことばを書きつける向坂くじら氏の姿が収録されている。これはいったい……何をしているところなのだろうか? その場に居合わせ、記録を撮った写真家・細川葉子氏と向坂くじら氏のトークイベントが、「向坂くじら展 アイムホーム」会場でおこなわれました(2025年6月22日)。その模様の一部を紹介します。というわけでくじらさん、まずはそもそものきっかけから教えてくださいーー。
くじら 2024年末に百万年書房の北尾修一さんから、「百万年書房と自宅が入っている渋谷のビルが、再開発のために建て壊しになって立ち退きを命じられているんです。賃貸だと、普通は原状回復しなきゃいけないんですけど、今回は建て壊しなので原状回復の義務がないんです」「30年間も暮らしていた部屋なので、くじらさん最後に壁や床に詩を書きませんか?」 ってお話をもらって。
すでにその時点で、次の詩集は百万年書房から出そうってことで制作中だったのですが、オフィスに詩を書く話は詩集とは全然関係なく、単なる遊びとして誘ってもらった感じで。
葉子 へえ。
くじら そもそも展示をやろうとも思っていないし、そこで書いた詩を詩集に入れようとも思っていなかった。ただ何か「部屋を自由にしていいので、最後に楽しいことやりましょう」って誘ってくださったので「いいんですか?」って詩を書きに行ったというだけで。そこに葉子さんが撮影に来てくださったんですけど……。
葉子 それも変な偶然ですよね。
くじら そう。
●きっかけはイクラ
葉子 私、生筋子を洗ってイクラを漬けるのが趣味なんですけど(笑)、自分の分だけではもの足りず、冬になるとイクラ欲しい人を募っては洗い、募っては洗い、を繰り返していたんです。で、北尾さんとは昔から知り合いで、冬の文学フリマ東京で会った時に「あ、北尾さん、今年も洗いますか?」って訊いたら「洗ってください」って言われたので、洗ったイクラを届けに久しぶりにご自宅にお邪魔したんです。そしたら建物全体がシーンとしていて、住人の気配がない。で、北尾さんから「いやあ、今年いっぱいでビルが建て壊しになって、ここを立ち退くんです」「実は最後に、向坂くじらさんが部屋に詩を書いてくれるんです」と聞かされたんです。
くじら そのときはまだ、葉子さんと私は会ったことがなかったんですよね。
葉子 そう。くじらさんとお会いしたことはなかったんですけど、もちろんエッセイは読んでいて、「え、すごいじゃないですか」って言って。それで家に帰る道中、だんだん「え……? あれっ? なんか、それって、ひょっとして、ものすごいことなんじゃないか?」って思い始めて。北尾さんにすぐ「それ公開しないんですか?」 ってLINEしたら、すごく軽い文面で「あ、動画もいちおう撮りまーす」みたいな。
くじら (笑)。
葉子 私は普段スチールのカメラマンなんですけど、展覧会とか美術展のカタログも撮るので、「これは私がちゃんと記録をしなくてはいけないんじゃないか?」という謎の使命感が生まれてきて、北尾さんに意を決して「それ、私が撮ってもいいいですか?」って訊いてみたら「あ、ぜひぜひー」って、また軽い返事がかえってきた(笑)。
くじら 私と北尾さんは全然何も考えてなかったんです。今の話を伺うと、葉子さんがいなかったらどうなっていたんでしょうね。
葉子 それにすごいビックリしちゃって。ものすごいことをしようとしているのに、当人たちにその自覚が全然ない。だから、こっちが焦って「撮んなきゃ! キリッ!」ってなって。12月18日と25日でしたっけ?
くじら そうですね。
葉子 私は予定があって2日目しか撮影ができなくて、25日に私が行ったときにはみんなが集合していて。電車の遅延でくじらさんだけ遅れていたんですよね。で、もう18日にある程度あちこちに詩が書いてあるし、あとは壊すだけの部屋だから、みんな土足で部屋に上がっていたんですけど、くじらさんが到着して、部屋に入る時に靴を脱ごうとしながら「あ、息をするように靴を脱いでしまった」ってぼそっと言った時に、「わ、詩だ!」と。
私がそこでキュンと射貫かれたんです。なんか好きかも! と思ってすごくテンション上がって。それで「撮っていいですか?」っていうのも私からではなく、北尾さん経由で言ってもらったんでしたよね?
くじら そうでしたね。
葉子 で、了承してもらったので、さっそく詩を書き始めたくじらさんをそのまま撮り始めた。
くじら そう。だから、誰かが意図したわけでもないし、コンセプトを持った企画として始まったわけでもないんです。
●ぜんぶ即興
くじら あの、このトークを聴いてもらっているみなさんに、まず、そもそも何をしてるんだっていうのがあまり伝わっていない気がしてきました(笑)。何をしていたのかっていうと、会場内のそこにある鏡とか、食器棚とか、このカーテンレールの裏側とか、トイレのドアとか、北尾さんの家の中にあるものに即興で詩を書いていたんですね。
葉子 私がすごく驚いたのは、ぜんぶ即興なんですよね?
くじら そうですそうです。
葉子 初歩的な質問で申し訳ないんですけど、ミスとかしないんですか?
くじら なんか、漢字が不安で2回ぐらい電子辞書を引いた記憶があります。あと、助詞を2回くらい消しています。助詞を書いちゃうと次に来る言葉が決まっちゃうので、助詞を書いた後に「違う!」となったことが、2回ほどありました。でも、あとはほぼ一発勝負。
葉子 合計でどれくらいの作品を書いたんでしたっけ?
くじら 17個ぐらい。
葉子 驚愕しました。
くじら それで、空っぽの部屋の中を見て、「あ、ここの、この形の部分に詩が書ける」「この部分にならこの行数の詩が書ける」「この可動性の棚の扉に、動かしても読める詩が書ける」みたいな。そういう思考で丸2日間過ごして、自宅に帰ってハサミを見たら「は! 2行詩!」って思った。
葉子 (笑)。
くじら そこで、家の壁や床に書いただけではまだ十分じゃなくて、家の中にある家具とかにも書かねばならんのだって気持ちに駆られて……で、それはそれとして、時を同じくしてCINRAっていうwebメディアの取材を北尾さんとふたりで受けたんですよ。そこで「今後やりたいことありますか?」という本題と関係ない質問があって。
葉子 その記事(https://www.cinra.net/article/202412-sakisaka_kitao_ikmsh)、読みました。
くじら 「最果タヒさんとか谷川俊太郎さんが言葉の展示みたいなことをやっていて、そういうものを自分なりにやってみたいです」と答えたら、その場で北尾さんが「やりましょう」と言ってくれて。そこで今回主催に入ってくださったQANDOの方と連絡を取ってくださったのか、気づいたら打ち合わせの日程が組まれていた。
そこで家具にも詩を書こうという結論になり、そしてまあ、こうやって展示の開催に至ったという。
●線の言葉、面の言葉
葉子 じゃあもう、自然と次の詩集にもそれを入れよう、みたいな流れに?
くじら そうですね。書いたのも収録しちゃおう、となって。
葉子 それで、写真も何の目的もなく撮っていたんですけど、最終的に表紙に使ってもらえることになり、詩集なのに中にも写真がたくさん入っている本になった。
くじら 即興って不思議なんですよ。 私、即興もともとあんまりできない方で。
葉子 そうなんですか? 即興ってどこで終わる、とかあるんですか?
くじら それは今回は楽でした。部屋の空間が終わったら終わる。
たとえば『アイムホーム』の表紙になっているやつは床の木板に合わせて5行でいこうと決めていて、だから板の終わりが近づいてくるので終わらせますね、という感じでした。
葉子 それで言うと、このタイルですね(『アイムホーム』本文188‐191p「青」)。
くじら あー、それは自分でも気に入っています。
葉子 これは会場内に実物がないんですけど、北尾さん家の台所のコンロを外したところがタイル地だった。
くじら 不思議な作りでしたね。そのタイルを原稿用紙と認識したので、これはわりとさらっと書けましたね。
あと、この時計(の詩)は一周で60文字。10文字刻みで、ちょうど60文字なので時間がわかりやすいんです。
葉子 これも即興ですか? 怖い!
くじら や、これは即興ではないです(笑)。 一生懸命考えて作りました。 でも、なんか、文字で書かれたことって、平面に印刷されるときはスペースの都合がありますけど、最終的には長ーい一行だな、と思いません?
葉子 長い一行?
くじら 人間の目が読む都合で、行を折り返しているんですけど、散文だと「(人間が読みやすくするために折り返した)長い一行だな」と思うんです。だから面ではなくて(文章は)線。今回の展示も、自分としては(面ではなく)線の立体化ですね。だから、そういう意味で言うと、壁に詩を書くのは(線ではなく)面として言葉を意識する感覚がありましたね。
●家に書くこと
葉子 謎のタイミングで何者かに呼ばれたかのような、私、今回は本当にそれが不思議です。
くじら 葉子さんがいなかったらどうなっていたんだろう? 記録としては何も残されず、私と北尾さんの楽しみだけで終わった可能性もあります。
葉子 それはそれで伝説感が高まったかもしれない(笑)。
くじら 後からはもう、知りたくても知りようがない。みたいなことになりかねなかった。
葉子 本当に撮っておいて良かったと思いました。
くじら 北尾さんに「詩、書きませんか?」って言われた時は、「うん、書く書く」みたいなノリだったんですけど、実際に部屋に着いて、空っぽになった部屋で、私も打ち合わせなどで何度も通った家だったんですけど、柱に残された(娘の)青さんの身長の記録とかを見て、「これは大変なことだぞ」という気持ちに、やっぱりなりました。住んでいた者たちの歴史があるところに、同じ壁に描かれた仲間として詩を入れてもらうっていうのはけっこう重大なことだなと思いました。
葉子 やっぱり、真っさらな家に書くのと、何十年も誰かが暮らした家に書くことはまた違いますよね。
くじら そうですね。この会場は展示用のセットですけど、セットの家じゃない本当の家でしたからね。その力を借りながら書いた、という感じはありました。北尾さんの奥さんが「椅子」という詩(『アイムホーム』本文168-169p)にすごく心を砕いてくださって。
葉子 「ここに住みたい」っておっしゃってましたね(笑)。
くじら 私もいざこの会場に来てみたら「あ、なんか意外と住めるかも」と思いました。最初は言葉がたくさん書いてあったら嫌じゃないか? と思っていたんですけど、けっこう住めますね。
●パジャマで外出すれば……
葉子 ところで。そもそも今日の衣装はどうしてこれになったんですか?
くじら これ、PAMMっていうブランドのパジャマなんですけど、「パジャマのうた」という詩が『アイムホーム』(本文29-30p)に収録されているんです。パジャマで外出すれば全てが家の中になるという妄言なんですけど(笑)、それを実践せねばとずっと思っていて。
この展示が始まる前から「どこまでを家とするのか?/どこからが家でないとするのか?」という問題に、もともと関心があったんです。自分の小説も、家についての小説だと自分では思っていて。『いなくなくならなくならないで』は、最初の仮タイトルは『よい家』だったんです。
家が家であることとか、家が出来ることによって内側と外側ができるのかもしれないとか、そういうことに対してもともとすごく関心を持っており、パジャマを正装にしたかったんです。 だから、展示が終わってもパジャマは着ます。今後はパジャマを着て活動します!
<了>
写真=細川葉子
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