70歳からの世界征服

amazon.comで購入する
著者名
中田 考(著)田中真知(著)矢内東紀(著)
発売日 2020年07月29日
価格 1500円+税
判型 四六変形
ISBN 9784910053156

人は死に、今生に意味はない。

老いを迎えるすべての人たちへ--イスラーム学者・中田考と仲間たちが贈る、身もふたもない人生の真実。

【目次】

はじめに 人は死に、今生に意味はない(中田考)

第1章 死に方入門(中田考)

第2章 老人と新型コロナウィルス(中田考×田中真知)

第3章 姥捨山から蜂起せよ(矢内東紀)

第4章 70歳からの世界征服(中田考×矢内東紀)

おわりに 生きがいという荷物を下ろす(田中真知)

 

【おわりに 生きがいという荷物を下ろす】

人生100年時代を迎えて、長い老後をどう生きるか、どのように生きがいを見つけるか。そういうことを指南する、いわゆる「老人生きがい本」がたくさん出ています。
本書もそうした本のひとつと見られるかもしれません。
しかし、説かれている内容は正反対といっていいでしょう。
ストレートに言うなら「老人は早く死んだほうがいい」というのがメイン・メッセージだからです。
ただ、これではけんもほろろ過ぎるかもしれません。
ややマイルドにいえば、「長生きに価値があるという認識は外しなさい」ということです。
これなら、少し納得いくのではないでしょうか。
では、長生きするからには、何か生きがいを持てばいいのか。
そうではありません。
「老人に生きがいなどいらない」のです。
これもにべもない言い方ですね。
マイルドに翻訳しますと、要するに「生きがいに縛られる生き方なんかやめなさい」ということです。
老人に生きがいなどないほうがいい。そう考えてみてはどうだろう、というのが本書の提言です。

もともと、この本は、イスラーム学者の中田考さん(60歳)の『13歳からの世界征服』の続編として発案されました。
『13歳からの世界征服』は、お仕着せの道徳やルールにがんじがらめになっている若い人たちへの痛烈なメッセージでした。しかし、そこにはまだ将来のある若者たちへの期待も込められていました。
けれども、中高年ともなると、もう先が見えています。
その歳になって、あいかわらず世間的な価値観にとらわれているとしたら、もう見込みはありません。
そうなると、ただでさえ容赦のない中田さんの舌鋒がもはや手に負えないものになりそうな予感があったからかどうか、百万年書房の北尾修一さんの発案で「えらいてんちょう」のハンドルネームで知られる若い起業家の矢内東紀さん(29歳)も著者のひとりとして加わりました。そこに私、田中真知(60歳)もまじって、老若併せた複眼的な視点から、高齢者の生き方を考えてみることにしました。

とりあえず、中田さんと私で、巷でよく売れている「老人生きがい本」を何冊か読んでみました。具体的なタイトルは書きませんが、大企業のトップを務める80代経営者の人生論、100冊以上の生き方本を書いている80代の作家、それに断捨離生活を実践されている60代の女性の本などです。
本を読むのが早い中田さんから、すぐにメールが来ました。
「全部年寄りの過去の自慢、自己満足の価値観の押し付けで、読むに耐えませんね。私も昭和の老人ですから理解はできますが」とありました。
私はそこまでひどいとは思いませんでしたが、ある種の違和感は覚えました。
これらの本に共通するのは、著者がいわゆる成功者であること、必ずしも経済的な成功というわけではなく、趣味、勉強、交友、社会貢献などに生きがいを見出し、自分らしいライフスタイルで充実した高齢期を謳歌していることでした。
それだけ取り上げればいいことづくめです。
でも、まさにそのいいことづくめな点が違和感の元でした。
こういう人たちは、それまでボーッと生きていて、老人になってからいきなり充実した、自律的な生き方に目覚めたわけではありません。それまでの人生の中でも、失敗や挫折はありながらも、おおむね前向きで、充実した自分らしい生き方をすべく努めてきた人たちです。その延長線上に現在の充実した老後がある印象は否めません。
もちろん、こうした本を手にとる人たちの中には、そういう人もいるでしょう。けれども、多くは「自分はこれまでボーッと生きてきたのではないか、人生100年時代だというのに、このままじゃいけないのではないか」と感じている人なのではないでしょうか。
そんな人がこういう本を読むとどう感じるでしょう。
中には刺激を受けて「よし生きがいを持とう」「生活を変えよう」という人もいるかもしれません。
でも、半世紀以上続けてきた生活や思考の習慣をがらりと変えるのは容易ではありません。
他人の人生がどんなに充実して見えたとしても、それはあくまで「他人の人生」です。他人の「自分らしさ」と、自分の「自分らしさ」は違います。ボーッとしているのも、また自分らしさです。それを無理して「生きがいを持たなくてはいけない」という強迫観念に追い立てるのは、結果的に価値観の押しつけではないか。それが違和感の正体です。
いわば、こうした「老人生きがい本」は自己啓発本の延長線上にあるものだと言っていいと思います。老人生きがい本は、老人のための自己啓発本にほかなりません。
自己啓発本の多くは「自分らしさ」という謳い文句とは裏腹に、人を資本主義の枠組みに組み込んでいきます。それは効率や収益を優先し、経済を回す上で役立つ人材をつくりだすための洗脳ともいえます。
若いときならいざ知らず、歳を取ってまで「人は輝くべきだ」といって、そのままでいることを許さない。それは本人のためというより、超高齢化社会の中にあってなお老人を資本主義社会に組み込んでいく経済的要請にも見えます。

そんなことを感じていた矢先、新型コロナウィルス感染症の流行が始まりました。
周知のように、新型コロナウィルスは、高齢者であるほど重症化しやすく、致死率も高くなります。それは従来の「老人生きがい本」が提唱する世界とは裏腹に、老人が活動範囲を広げれば広げるほどリスクが高まる、という状況を作り出しました。
ここにおいて、あらためて私たちは「人は死ぬ」という当たり前の事実に直面することになりました。マスクをしようがしまいが、三密を避けようが避けまいが、新型コロナウィルスに感染しようがしまいが、人は死にます。しかし「老人生きがい本」はこの当たり前の事実にはふれず、輝くこと、活躍することにばかり人の目を向けようとします。
しかし、人は死ぬのです。
死ぬとはどういうことか。
それは、生きている間に手に入れたものの一切を手放すことです。財産も、家族も、地位も、名声も、人間関係も、知識も、経験も、記憶も、人生で背負ってきたあらゆる荷物をすべて下ろすことです。
つまり老人になるとは、本来そのような荷下ろしの準備に入ることにほかなりません。
背負っていたものを下ろすのですから身軽になれるはずです。
そして背負っていたもので、若い世代に役立つものがあれば、あげてしまう。そうやって裸に近づいていく。
「私は裸で母の胎を出た。裸でそこへ帰ろう」というヨブ記の言葉のように、手放し、施して、裸になっていく。それが伝統的な「老いる」ことの意味でした。
本文で中田さんがふれているヒンドゥー教でいう遊行期も、またそういう人生の時期とされていました。
ところが、現実には、老人になってなお何かを手に入れようと執着し、ますます多くの荷物を背負い込むことがよしとされています。それは老いることをかえって苦しいものにし、結果的に経済至上主義をますます煽ることになりかねないのではないでしょうか。

本書がこれから老いていくすべての人にとって、「生きがい」という荷物を下ろすためのヒントになれば、これにまさる喜びはありません。